アルバム写真のこと
- 雄飛 星野
- 2024年3月16日
- 読了時間: 6分

卒業式シーズン真っ只中ですね。
そんな中、2月28日にX(旧ツイッター)に流れたとあるカメラマン募集のツイートが大炎上したとのことです。内容は、4月8日の小・中の入学式の撮影。3人しか確保できていなくて100人くらいほしい、というものでした。
自分自身、スクールフォトを数年経験していますし、高校時代はアルバム委員で業者の方と生徒側から接してきたので無視できずに思ったことを書こうと思います。
当時、このツイートは目にしていましたが「自分のところが人集まっていないのをさらしてる、、、」「これ本当にギャラ払われるのかな」程度で「またこの季節か」と、スルーしたまででした。
3月4日午後3時3分配信のスポーツニッポンの記事によると、
SNS上で素人同然のカメラマンを採用しようとしていることに加え、採用経緯が公表されていないため、児童の安全の確保や小児性愛者が紛れ込むことを懸念する声が多く上がった。「何かあったら責任とれるんですか?」「よりによってXでの募集なんて子を持つ親として怖いしかない」などと投稿が相次いだ。
ということのようです。
確かに、SNS上の反応は理解できます。実際に保育園のカメラマンで盗撮疑惑があり契約を切ったという話も聞いたことがありますし、盗撮したものをネットに拡散してしまう可能性もゼロではありません。腕もまちまち、機材もまちまち。現場に一緒に入った見知らずのカメラマンと仕事した経験も多々ありますが、また一緒に入りたい人ともう入りたくない人との2つにくっきり分かれます。カメラマンは資格もなく名乗ればだれでもできてしまうが故の怖さを当時は感じました。
スクールフォトは入学式、運動会、卒業式など繁忙期の偏りがすごいです。自らのカメラマンで足りなくなるのは仕方ありません。それでも入学式の写真がないアルバムは物足りません。そこで単発でフリーのカメラマンに頼るわけです。100%信頼に値するカメラマンを送り出すことができないのは構造上仕方ないのです。
こんな経験もしたことがあります。単発で入った学校で職員室に挨拶しにいったら担当の先生から「今年から別のとこに頼みました」と。頑張ってカメラマンを集めなくてはいけない状態で間違えるわけがないと思うのと同時に、学年ごとに業者が違うケースをよくあるのです。これは入札制による価格競争が起因していて、新しい業者になってても3年生だけは前の業者、なんてこともあるのです。(この構造もカメラマンが余計に必要になる構造になっているのですが、、、)なので、先生が勘違いしている可能性があります。その時は、学年限定で撮らせてください、と撮影しました。その後はどうなったかわかりませんが、先方に「業者が変わった」といわれて写真を撮らずに帰ってきたらあとから交渉することもできないわけです。依頼する側も納品されるまでひやひやだと思います。それでもアルバムを作らなくてはいけないので仕方なくそうしているのが実情だと思います。
そこまでして作るアルバム。SNS上では「いらない」という声もあるそうですが、そうなのでしょうか。自分としては、かけがえのない一冊です。母校では生徒(アルバム委員)が1年前から業者さんと週1の頻度で会議を重ねます。全カラーにするか、モノクロのページ群を作るか。何かの特集ページはどうするか。何台(アルバム業界では見開き1ページを1台と呼びます)にするか。等々、ひな形はあるにせよ、学年ごとに1からアルバムを作るといって過言ではありません。中身の写真も、データを業者の方からいただいて生徒のほうでセ
レクトさせてもらったり、自分の写真を持ち込んで差し替えてもらったり。それも生徒の思い通りではなく、業者さんとの話し合いの中で進んでいくのです。手間も時間もかかるのでここまでやっている学校は少ないと思います。ただ、表紙のデザインやクラスページだけやった、のではなくてアルバムという一冊の本を作ったという経験がすごい誇りに思えました。このアルバムで同級生たちが少しでも学校生活を思い出し、懐かしんで元気をもらえたら、と思います。そのために自分も業者さんも作ってきたのです。業者さんにも「アルバムは卒業後すぐ見るために作るんじゃない、何十年後のために作るんだ」とよく言われたものです。まだそのフェースに来ていないと思いますが、卒アルはしまい込まずにすぐ手に取れる場所に常においています。
先述したように、価格競争で「できるだけ安いところに」という風潮があります。スマホで写真がいくらでも撮れる時代。わざわざわが子が少ししか写っていないアルバムを高いお金を出して買う文化がもうないのかもしれません。それによって、自分の母校の業者さんのようにアルバムつくりに誇りをもって手間と時間をかけている業者さんが窮地に立たされてしまいます。あるいは妥協を強いられるのです。紙にもこだわっているそうで東京の業者なのにわざわざ関東外の印刷所で印刷を頼んでいると値段を下げたくても下げられません。確かに、カメマンのヒエラルキーというのは存在して、それは収入に残念ながら比例すると思います。そのヒエラルキーの中ではスクールフォトグラファーは下位に位置してしまいます。儲からない、なり手がいない、カメラマンが足りない、、、この悪循環が今回の炎上により明るみに出たともいえるかもしれません。だからと言ってアルバムがいらないってことにはならないと思います。むしろ、プリントされた写真を人々が持たない時代になってより重要度は増しているのではないか、と思うのです。
x上で写真家の中藤毅彦さんが同じく写真家の新納翔さんと同じ中学校の体育祭を撮ったことがある、とツイートされていましたが(なんと贅沢なアルバムなのでしょうか、見てみたいですね笑)実は若手にとってはすごく学びになる現場なのです。体育館だとスリッパをはいた時の「パタパタ」音がうるさいなどの学校というコミュニティの中で大事な時間にお邪魔する際の注意の払い方やクライアントは学校であると同時に保護者という特殊な関係性など各々の対処が身に付きます。また、スクールフォトというのは非常に撮影技術も必要で、体育館なんて光がつかめません。窓から漏れる自然光、フリッカーが出まくる電球、檀上は強いスポット光がマゼンタかぶりしていることなんてざらです。その中でミスなく撮りきる必要があります。今の現場でも経験は役に立っています。顔写真も被写体が一番よく見える向きを判断して撮影するなど職人技なわけです。そういう意味ではスクールカメラマンを「下手だから」と安い仕事を引き受けてヒエラルキーも下位だ、というのは間違えです。構造上の問題というのが大きな原因です。
ながながと書いてきましたが、最後に、これをきっかけに自分のアルバムを久しぶりに開いてみると「やっぱり卒アルはいいな」と思うかもしれませんね。
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